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習作『エレクトラ』

前から書きたかった話が降りてきたので勢いで書きました。推敲なし一発書きクオリティでご勘弁ください。
流血、狂気表現注意。R15に相当するかと思います。

よろしければ続きへどうぞ。
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習作『エレクトラ』

石の床に剣が跳ねる音がした。
「どうしよう姉上、私は、私は母上を殺してしまった、私を産んでくれた母を、この、この手で、わたしは……!」
 あ、あああ、と弟はうめき声を上げた。殺してしまった、殺してしまった。母上を。私は。ころしてしまった。繰り返す声がだんだんと不明瞭になって、ついには激しい慟哭になった。血にまみれた手が冷たい石の床を掻き毟る。爪が割れて血がにじんでいく。ああ、――まじる。まじってしまう。
 私は弟の名を呼びながら、その手を取って己の頬に当てた。生臭い血の匂いがいっそうきつくなる。母の血に汚れるのは不快だったが弟の流させたものと思えば気にならなくなった。オレステス、オレステス。何度も呼びかけて弟はようやく顔を上げた。手が痙攣のように震えて私の頬に爪を立てる。頬が切れる感触がした。うろたえるように引かれかける手を私は強く頬に押し当ててひきとめた。痛みなど気にもならない。私の血ならいい。私の血のほうがいい。
「あ、ねう、え、」
 血と涙でぐしゃぐしゃになった顔が私を必死に見上げている。この十年でお父様にそっくりなたくましい若者に成長したというのに、こんな表情は幼いころとなにひとつ変わらない。向う見ずなくらい勇敢なくせに心のもろいところがあって、時々私にこうして泣きついてきた、私の可愛い弟。
「だいじょうぶよ。だいじょうぶ」
 私はほほえみを浮かべた。幼いころこの弟を慰めたときと同じように、やさしく。手を伸ばして弟の頭を胸に抱き寄せる。ひどく泣いたときの弟はこうして私に慰められるのが好きだった。
 おお、と弟が私の胸でなおもうめく。エリニュエスよ、女神よ。ちがう。違う私は。弟が口走ったのは復讐の女神の名前だ。母親に仇なすものを追い詰め罰する三人の女神たち。おまえの目にはそれが見えているの。
「あ、ああ……女神よ、いやだ、ちがう、愛していた、あいしていた……母上、母上、かあさま、ごめんなさい、ごめんなさいわたしは」
「いいのよ。苦しかったわね、よく頑張ったわ。あなたは間違っていないわ。だいじょうぶよ、私のいとしい子」
 血で固まりはじめた髪をなでる。弟はもう私を見ない。それでもいい、あなたを守るのは私。
「私はなんてことを、産みの母を、あなたを、この手で、わたしは」
「もはやあなたの母ではないわ、あなたの父を、偉大なるお父様を殺した女だわ。汚らわしい男をくわえこんでこの王宮を乗っ取った女だわ。おまえのことも殺そうとしたのよ、ねえ、覚えているでしょう。あなたを逃がしたのは私よ、ねえ、覚えているでしょう。私を、お父様の娘である王女を、あんな農夫に嫁がせたのもあの女だわ。ねえ、知っているでしょう」
「……わたし、は」
「そうよ、正しいことをしたの。あなたはなにもわるくない。あなたは母など殺していない。あなたが殺したのはお父様を、すばらしい王であったお父様を卑怯な策で殺した大罪人の女。あんな女の今際の言葉になど惑わされてはいけないわ。ねえ、いとしい子、私の弟、泣かないで、泣くことなんてなにもないの。だいじょうぶ、だいじょうぶよ。
 ねえ、あなたは母など殺していない。あなたが殺したのは母などではない。お母様ではないの、私たちのお母様はもういないの、とっくにいないのよ、いなかったの……。
 疲れたわね、あなた、いとしいオレステス。眠っていいのよ、ねえさまの胸でねむりなさいな」
 だいじょうぶよ、わたしがいるから。何度目かにそう言って私は弟を抱きしめる。
 くりかえしくりかえし話しかけているうちに、震えていた弟は少しずつ落ち着いていった。瞼がだんだんとおりてうつくしい瞳を覆い隠す。胸にかかる重みが増した。もうおとなになったあなたを私の胸は支えきれない。息がつまりそうになって、私は弟の頭をそうっと床に下ろす。まとっていたヒマティオンを脱いで肩からかけてやれば、すっかり血は見えなくなった。これでいい。


 私は部屋の隅へと膝をにじらせた。血にまみれた塊があるほうへ。落ちている弟の剣を拾い上げる。重さに手が震えた。
 塊を見下ろす。それはまだ少しだけ動いていた。弟は優しい子なのだ。捨てきれなかった情があれほどの剣の腕すらも鈍らせたのに違いない。そうでなければひといきに殺せたはずだ。こんな老いた女ひとり。
 でもだいじょうぶよ。
 わたしがいるから。
「ねえ、おかあさま」
 私はうっそりと笑って、わずかにうごめく血の塊に剣をつきたてた。


 弟のそばに戻る。もう一度苦労して頭を持ち上げ膝に乗せた。寝顔はやすらかだ。すっかり固くなった髪を指先で私は梳いた。何度も、なんども。
 エリニュエスよ、いるならどうぞでておいで。私は中空に視線を投げる。母殺しを責め立てるはずの女神はどこにも見えなかった。ほうら、ね。

 女神はいない。
 母を殺した息子も、どこにもいない。

「愛してるわ……」
 ああ、世界のだれよりも愛しているわ。だってあなたはお父様と同じ顔をしている。同じ声をしている。お父様と私と同じ血が流れている。たったひとりの私のいとしいオレステス。

 眠る弟に私は口付けた。血の匂いが濃く香った。
 愛しているわ。
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