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あの坂を/書きかけ原稿の墓場より

前回の覆面に出そうとしてポシャったネタをサルベージしたけどやっぱり書けなかったもの。
『あの坂をのぼれば』


「あの、坂を、のぼれば……海が、見、え、る……っと」
 ――限界。
 がくがくする膝に両手をついて、俺は懸命に呼吸を整える。汗がぼたぼたと足元に落ちた。救いなのは周囲に全く人影がないことだ。三十男が全身汗まみれでぜいぜい言ってる姿なんて、見られたいもんじゃない。つうかヒくだろ普通。
 ショルダーバッグからスポーツ飲料のペットボトルを出して口を付ける。ごくごくと飲みほしたい衝動をなんとか抑え込んだ。俺の記憶ではここから頂上まで自動販売機なんて気の利いたものはない。公衆便所の蛇口の水だって飲める気分だがそれすらない。ひたすら延々階段、階段だ。水分をここで使い切るのは得策ではないだろう。
「はー……」
 溜め息をついて、濡れた髪をわしわしと乱した。ペットボトルをしまって目線を上げる。頂上の見えない階段を挑むように睨みつける。――睨みつけた、つもりでいたが、おそらくずいぶん情けない顔になっていただろう。
 小学生の俺は偉かった。
 ……それとも今の俺がこんなにばてているのは、俺が今、ひとりでいるからだろうか。

 ――郁生。
 
 本当ならここにいるはずだった幼馴染の名前を、俺は本日何度目かに、胸の中で呼んでいた。


   あの坂をのぼれば、海が見える。
   少年は、朝から歩いていた。
   草いきれがむっとたちこめる山道である。
   顔も背すじも汗にまみれ、休まず歩く息づかいがあらい。
   あの坂をのぼれば、海が見える。


「『あの坂をのぼれば、海が見える』!」
 その階段を指差して、わざとらしく抑揚をつけて、そう言ったのは郁生だった。
「はあ?」
「だからさー。あれ、登れば、海見えるって」
「いや知ってるけど。それがなに。てか坂じゃないじゃん。階段じゃん」
「小さいことは気にするな! で、登んね?」
「あ?」
「登ろーぜ、明日」
「登ってなにすんの」
「海見るに決まってんだろ!」
「だから海見てなにすんの」
「海見て……で、帰る」
「……そんだけ?」
「うん」
 郁生は頷いて、
 そしてまっすぐに俺を見た。
「そんだけ」
 い、の音になった俺の口はけれども郁生の名を呼ぶことはなく、閉じて、むぐむぐと動いて、
「――わかった。明日な」
 結局は承諾の言葉を吐き出していた。
「おっしゃ、九時集合だぞ。おやつは三百円まで!」
「『せんせー、バナナはおやつに入るんですかー』」
「『自分で考えなさい!』」
 ぎゃははははと笑い合って、そんじゃなーと手を振り合って、俺たちはランドセルをカタカタいわせながらそれぞれの家の方向へ走りだした。
 そして翌日の土曜日、午前九時。水筒とおやつ(俺がバナナを見せてやると郁生は大笑いした)をリュックに詰めて、俺たちは階段を登り始めた。
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